前回のブログ、
適当に書きすぎた結果、
タグ付け忘れた!!!
↑こいつポンコツ(´ーωー`)
でもそのおかげて再編集?更新?の方法理解しました。
タグは後から付けました。
↓今回は目次を試してみました。
- 〇きょうだい児
- 〇そもそもどういう意味なの??
- 〇私はきょうだい児なの??
- 〇嫌いってどういうこと??
- 〇損ばかりじゃなかったよ
- 〇私は恵まれてる?
- 〇脱線したけど…
- 〇きょうだい児へのサポートは必要
〇きょうだい児
みなさんこれ↑見たこと、聞いたことありますか?👀
これね~見て見ぬふりしてきたんです。。。。半年くらい😓
知らないわけないじゃん!聞こえてくるよ!!
正直なこと言います!!
この単語、好きじゃない!!!
そんな苦手な表現に今回のブログで向き合いたいと思います。
〇そもそもどういう意味なの??
簡単に言えば【障害児者の兄弟】ですよね?
とは思うんだけど。なんか細かい条件あるかもなので調べてみよう🔍
ウィキペディアさん
「きょうだい児(きょうだいじ)とは、重い病気や障害を抱える兄弟姉妹の居る子どものことをいう」
日本財団ジャーナルさん
ヤングケアラーの「きょうだい児」の本音 | 日本財団ジャーナル
障害者を兄弟・姉妹に持つ「きょうだい児」がいる。彼らは障害者のきょうだいの世話をしたり、親の目が自分に向かないことを我慢したりと、幼い頃から苦しみを抱えていることが少なくない。
まあ言葉の意味への理解はこんなもんで十分でしょう。
要するに………やっぱり…………
【障害児者の兄弟姉妹】
だよね??最初の解釈でいいっぽいね。
え。それってそんなに特殊なの?
特別枠扱いなの?
ほんとに????
〇私はきょうだい児なの??
次なる疑問は
「わたしってきょうだい児??」
まあ適当に記事を読んでると
障害の程度は軽度でもきょうだい児には該当するっぽいんですね。
病弱な兄弟がいた場合も該当するっぽい
じゃあ知的・発達障害中等度の妹がいる私は
定義的にはきょうだい児なんですね…??
いや~私この表現嫌いなんやけどな~~~!!!
〇嫌いってどういうこと??
何が嫌いなの?って話をしていこうと思います。
私、、、
妹が障害児、障害者だからって何が特殊なの??
という考え方なんです。
きょうだい児だっていえばサポートがあるよ。とか言われても、
正直、損も得もどっちも作り出されなくていいというか
損も得も両方あったというか。。。
記事とか読んでるとさ~
損ばっかりしてきました。被害者です。
無理してきました。しんどかったです。
こういう当事者意見はまあ家庭事情は様々だし、
家庭環境によって、受けてきた待遇は違うだろうな~。
家庭環境が良くても地域の環境がちがうだろうな~。
などなど思うことはもちろんあるんです。
でも、それを伝えたいだけなら
「きょうだい児」の定義って
【障害を抱える兄弟姉妹の居る子ども】とか
【障害者を兄弟・姉妹に持つ】とか
そんな広義ではなく
【障害のある兄弟姉妹により不利益を被った子ども】
こんな定義でよかったんじゃないかな~って思っちゃうんです。
でもそうじゃないんですよね。
障害を持った人が兄弟にいるだけで
【きょうだい児だ!!】ってなるんでしょ?
それはなんか……嫌だ……"p(-x-〃) イジイジ
〇損ばかりじゃなかったよ
きょうだい児が苦しむ理由って、
障害を持ったきょうだいにあるのでしょうか?
それってあまりにも
障害者をうまく利用しすぎじゃない?
言い返せない立場の彼らに責任を押し付けていて、
ひどい仕打ちじゃないでしょうか???
そして
障害のある子を産んだご両親、
特に責任を感じやすいお母さま方に
失礼なのではないでしょうか。
下の子が障害を持って生まれたら上の子はかわいそう、
障害者を産んだのに次の子作るんなんて次の子がかわいそう、
そういう話を生み出す要因になるような表現ですよね…?
そんな意図はないだろうけど。
この用語を生み出した人がどの立場なのかも知らないけど。
でも
この表現を使ってる「きょうだい児」の皆さんへ
障害児者の兄弟姉妹として生きてきた皆さんは
自分の親や、障害児者を兄弟姉妹に持つ同じ立場の人間に
そんな差別用語を準備したいんでしょうか??
そんなに不安を与えたいんでしょうか??
私は、
「きょうだい児は普通の兄弟姉妹と区分されるもの」
って認識を広めたくない。
「障害者が兄弟姉妹にいたら特殊だ!!」
って言われたくない。
だから、
【きょうだい児】=
【障害を抱える兄弟姉妹の居る子ども】
として定義されている間は
この表現……好きじゃない、嫌い!!
〇私は恵まれてる?
【障害のある兄弟姉妹により不利益を被った子ども】
こんな定義でよかったんじゃないかな~。って前述しました。
でもこの書き方もちょっと納得いかない。
「きょうだい児」を名乗る人たちがこういう考え方かな~と
「きょうだい児」のイメージってこんな感じかな~と
思って書いてみたけど、、、
実は納得いってない"p(-x-〃) イジイジ
納得いくように整理したい。
向き合うと決めたからには…"p(-x-〃) イジイジ
↑こいつめんどくさいやつ(´ーωー`)
環境が人を作る。
環境が性格に影響を与える。
おっしゃる通りです。
環境っていうのは人格形成に絶対影響があると思う。知らんけど。
↑知らんのかい(´ーωー`)
まあ単純に考えれば環境が人を作るのは当たり前かも。
環境が文化なわけだし、文化を見て聞いて感じて、
それを常識として育っていくんだし、
正しいと思って生きるしかないからさ。
置かれている環境や文化、常識を否定してれば、
「あいつ変わってるやつ」
「あいつおかしいやつ」
ってなっていくし、
周りからの評価は下がるからね、知らんけど。
↑知らんのかい(´ーωー`)
なんで「しらんけど」なのか?
なんで「きょうだい児」の当事者になろうとしないのか?
私の常識では
妹が障害者だったからサポートが欲しい
って感覚がないだもん( ˘•ω•˘ )
もちろん、
「障害者の妹さんいて大変だね~」
って言葉はたくさん聞いてきました。
もちろん、
「妹の影響で自分が特殊だったな~」
って感覚はあります。
私にとって、この2つって【同じ】じゃないんです。
今の「きょうだい児」では、
この2つが【同じ】になっていく気がするんです。
私はこの2つが同じになってほしくない!!!
私は家族にも、地域にも恵まれてたから?
この2つが同じじゃなかった。
だからこそ
「きょうだい児」という言葉によって、
この2つが同じになったら、
それは目指すべき多様性を認める社会ではないと思う
多様性の話題っていうと
LGBT→LGBTQ→LGBTQA→LGBTQIA
どんどん枠ができて、多様性を認めているようで、細分化に走ってて
その結果当てはまらない人が生まれたり
あの人はねレズなんだって、あの人はバイなんだって、
そういう人もいていいよね~♪
そういう人が友達にいる自分は多様性を認めているよ~
のような悪気のないアウティングが続いた時期ありますよね。
今も中性的な人を見て
「トランスジェンダーなんですか?」
「どっちの性別ですか?」
「恋愛対象はどっちですか?」
LGBTQIAに当てはめようとしてくる動きありますよね。
「ちょっとカッコいい格好したかっただけ」
「ちょっとかわいい格好したかっただけ」
「顔立ち、骨格的にこっちが似合うから」
それでは許されない空気を、たまにSNSとかで見ませんか?
本当の目指すべき多様性は
LGBTの人もいるし、
そうじゃない人もいるし、
それっぽい人もいるし、
どちらとも言えない人もいるし、
それらのどれだとしても他人には関係ないよね。
色んな人がいるから
自分が好きになった相手と自分の性別・恋愛が
一致してると恋愛できていいのにな~。
ってことだと思う。
振られる理由に
「他に好きな人がいるから」
「あなたのことタイプじゃないから」
「今は忙しくて恋愛できないから」
に追加して
「恋愛対象に入らないから(性別・恋愛)」
が増えること、それが自然になることが
本当の多様性なんじゃないかな~と思う。
「タイプじゃないから」と同じでしょ?
相手を理解した上で「根本的に好みじゃない」って意味なんだから。
ってくらい開き直れたらそれが一番いいと思う。
〇脱線したけど…
LGBTの話なんかして脱線しちゃったけど、
こんなだから私は特殊って認めるんだけど、
この多様性への視点を培ったのは妹が影響してるけど
この特殊さが大変なのって、
この特殊さを区別・偏見として扱う社会が悪いでしょ?
障害者が悪いんじゃないでしょ?
私はこの特殊さで大変だったことはない。
これはきっと恵まれてるからって言われてしまう。
私や私の地域、私の友人たちは
私のこの特殊さを気に入ってくれてる。
興味深いって言ってくれる。
この価値観、視点を知っていきたいって言ってくれる。
私はこの環境、文化、常識が好き
これが多様性だと思う。
〇きょうだい児へのサポートは必要
もちろん、妹が障害児者で
いわゆる一般的な3歳差の姉妹と同じだったかって言われたら…
…それはごめん、違うかも。ちがうよな~(´^`).。oஇ
もちろん過去のブログにも書いたけど、
かまってほしくて障害者になろうとした時期は私にだってある
(詳しくはこのあたりのブログ)
障害のある子供を持って、親も精神疾患になって、、、
な~んてお話も聞いたことがないわけじゃない。
障害のある兄弟のことで親が忙しくて、かまってもらえなかった、、
って話もあるあるだよね。
障害のある兄弟の世話を焼かなきゃいけなくて、やりたいことが、、、
って話もよく聞く。
兄弟に障害があるから、我慢しなきゃいけないことが、、、
って考え方もよく聞く。
苦悩があること、しんどいことがあること
それ自体は否定しませんし、できません。
だからサポートはきっと必要です。
本気で助けを求めている「きょうだい児」はきっといます。
でもじゃあそれって
「しょうがい児」が兄弟にいると苦労があるから
「きょうだい児」って言葉を作ってサポートする。
と思われてもいいことなんでしょうか?
「しょうがい児」が兄弟にいると特殊なことがおこるから
特殊なことで大変な思いをするのが「きょうだい児」なのでしょうか。
特殊なことで大変な思いをする
↑これが前提でいいんでしょうか?
私はこれが前提になることが怖くて、
「きょうだい児」って単語が好きじゃないんです。
苦悩している、しんどい思いをしている
✕だからサポートしてあげるべき対象だ。
〇きょうだい児がしんどくならない世の中に。
であってほしい。
「しんどくならない」の認識も
「しんどくないようにサポートする」じゃなくて
「しんどくなるわけない環境がある」であることが私的理想です。
まあ、ここまで行くのは難しいだろうし、
当事者の性格も関係してくるけどねσ(*´∀`;)
今回のブログはうまく説明し尽くせた感じがなくて、
もっと細分化して、言語化したい部分があるので
【きょうだい児1】にしています。
どうしてその表現を使ったのか、
なぜそう思ったのか、
そういう部分を書く回をまた設けたいと考えております。
今回はこんなところで…
ポンコツ姉٩( ᐛ )و